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大畑 公成

PROFILE

Vol.1 画家・大畑公成さんインタビュー

自分というフィルターを通して、みずみずしい生命力を描く。

 

ギャラリ―に足を踏み入れた途端に、甘酸っぱくて爽やかな、春の香りが辺りにムッと立ち込めたような気がした。サンセイドウギャラリーにて58日(月)まで開催中の、画家・大畑公成さんによる展覧会「蜜と果実」。色とりどりの季節を慈しみながら、そこかしこに芽吹く自然の生命力を、様々な色彩やかたち、質感の組み合わせでキャンバス上に表現する。それらは、熟した果実のようにも見えるし、いつか花開くことを願う、小さな蕾のようにも見える。鑑賞者の想像力により補完されることで、一層ふくよかに、味わい深くなるのが、大畑さんの作品の魅力の一つだろう。このインタビューでは、画家としての作品への姿勢に迫った。

  

|絵画のおもしろさって、布の上に乗った絵の具の厚みや色、かたちの組み合わせから、観る人に色々な想像をしてもらえることだと思います。

 絵を描き始める入り口になったものは何だったのですか?

大畑:看板を作っていた父親の職場に、子供の頃に連れて行かれて。父が仕事をしている間に、その辺のペンキで遊んだりしていました。なので、僕にとって絵を描くという行為の入り口は自然と身近にあったと思いますね。あとは、高校の学園祭で大きな壁画を描いたんですが、それにも大きく影響を受けたという記憶があります。

 

なるほど。大畑さんの作品は、「これってどんな花?」「これって果実かな?」と、想像力をかきたてられるものが多いですね

大畑:そういう風に思ってもらえたら幸いです。具体的に描いて何かを主張するわけではなく、抽象化したり記号化したりすることで、絵を観る人の想像力に委ねている部分が大きいです。もちろん、制作するときには自分の考えや、“ある程度こういう風に見てほしい”というような方向付けの様な気持ちはありますが、最終的には観てもらう方が想像力を膨らませながら鑑賞してもらえるのが一番理想的ですね。僕が意図したものと違っても、例えば「これ魚みたいに見えるね」とか、「よくわからんけどキレイやなぁ」とか、そういう感じ方をしていただいてもいいと思うんです。

 

|展覧会全体を“体感”してもらうことを意識しています。展示スペースに入った瞬間に、外と世界が変わったように感じてもらいたくて。

 今回の展覧会は「蜜と果実」というタイトルですね。ギャラリーの窓から見える新緑も相まって、作品から強い生命力を感じる印象です

大畑:実は、これまでの展覧会のタイトルには“私にとっての美の象徴”という意味合いで「花」という言葉を多く使っていたのですが、意図的に外しました。今回の展覧会は暖かい季節に開催するということもありますし、植物の濃密な生命力や、爽やかな空気感、はたまた、キレイなものの中にあるグロテスクな部分。そういった、今まで描いてこなかった感覚やモチーフにも踏み込んでみたかったんです。そこで色々なキーワードを探したときに、蜜と果実はいい組み合わせだなと。展覧会は一枚の絵で成立するわけではないので、「ここにパステルカラーがあった方が雰囲気に合うかも」というように、全体の空間構成もとても大切にしていますね。

 

制作するときは、身近な自然にインスピレーションを受けているのでしょうか?

大畑:そうですね。普段、近所を歩いたり、自転車で買い物に行ったりするときに、軒先に咲いている花を見たりして。「あぁ、あそこの花きれいに咲いたな」とか「この色の取り合わせ、すごくキレイやなぁ」というように、ヒントとして覚えておいて、家に帰ってから頭の中で再構成している感じです。

 

大畑さんは生まれも育ちも京都とのこと。京都ならではの感覚が活かされていると思われますか?

大畑:それはあるかもしれないですね。京都って、時間の流れがゆっくりだと言われていますよね。確かに、ちょっとゆるやかな部分というか、“はんなり”した部分が自分の根底にあるような気がします。絵の中にも激しい尖った部分はあまり出さないというか。やってみようとするけれど、どこかで角が立つのを恐れて丸くしてしまうようなところがあるかもしれません。

 

|みんなに「いいね」と言われることは難しいけれど、誰かの心に引っかかってもらえる確率を上げていきたいと思っています。

 

最後に、すごく抽象的な質問を…。「なぜ絵を描くのか」と聞かれたら、どう答えますか?

大畑:昔と今では違いますが、20代の頃は、絵を描くことで外部の情報を消化するという意味合いが多く、世界のことを自分がきちんと理解するために絵を描いているという要素が強かったです。自分の中からひねり出して漠然と「いい作品をつくるぞ!」という考えでしたね。でも今は、身近にある植木とか風景とか、キレイなものを見ては自分というフィルターにサッと通して作品を生み出している感じです。一枚の絵にものすごく意味合いがあるかというと、実はそんなになかったりもして、「自分の中の言葉ではうまくつかめないものを確認しながら絵を描くという行為で遊ぶ」ということの連続でもあり、それはまた自身の生きる世界と対峙し続けててゆくという事でもあります。最初に筆を置いたところから、次に自分がどういった反応を取るかという即興性や実験の中から生まれる偶然性、絵の具の魅力や絵画性とは何かということを強く意識するようになりましたねそしてやはりまずは自分が絵を描いていておもしろくないと意味がないので、続けていくうえで飽きずにたのしむやり方を見つけてきているのかな、とも思います。

 ― お答え下さりありがとうございました!



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